壱岐の“砂浜”の豊かさは、実はとてもユニークなんです─。日本の快水浴場百選にも選ばれた壱岐随一のビーチ、筒城浜を歩きながら、大沢邦生くにおさんはそう話す。
彼は、壱岐に存在する三○ヶ所以上の白い砂浜と、壱岐の観光スポットについての詳細な情報を掲載した「壱岐砂浜図鑑」というウェブサイトを、二〇一四年からたったひとりで運営している稀有な人だ。

 

「ここは、五十年ほど前には松林のない草原だったんですよ。昔ながらの小さな石垣の波止場がひとつだけあり、砂浜の上に漁船が留まっていて、放し飼いされた壱岐牛が歩いていたと聞いています」

海の向こうに見える防波堤を指さしながらそう話す大沢さんは、いまや壱岐で一番と言っても過言ではない砂浜マニアだ。しかし、最初から砂浜に対し、強い探究心があったわけではないという。

 
壱岐出身の大沢さんが十四年暮らした東京から故郷に帰ってきたのは、東日本大震災のすぐあとのこと。芸術大学を卒業後、テレビ番組制作や音楽出版、アートディレクション、空間デザインなど実にさまざまな仕事に携わったが、震災後に故郷のことが気になり、壱岐に帰って地元に関わる活動をしたいと思ったという。

「僕は東京に十年以上いたのに、向こうで一度も『壱岐出身です』と自己紹介をしたことがないんですよ。それは、『壱岐』という地名を出しても『どこですか?』と聞かれることが多く、お互い戸惑うばかりだったから。仕方なく『長崎出身です』と言っていました」

壱岐出身の人が、「壱岐ってこういうところです」と伝えたくなるような何かを作りたい─。東京に身を置きながらそう考えていた大沢さんの心によぎったのは、食や風俗文化ではなく、自分にとっての原風景である“砂浜”だった。

「衛星写真で壱岐を見てみたら、知らなかった白い砂浜がたくさんあって、その砂質などは全国を探しても特別なものだとわかりました。それで、自分なりに気づいたんです。たとえば焼酎の素晴らしさを語る際、その材料やどんな場所で作られたかという情報の付加価値は大切なものですよね。つまり“美しい砂浜”は、島のあらゆる産業を大もとで支えてきたんじゃないか、と」

 
 
そう考えた大沢さんは、二〇一三年から、壱岐じゅうの砂浜の歴史を調べるという途方もない作業を始める。さまざまな図書館でありとあらゆる資料にあたったのはもちろん、砂浜の近くの民家を直接訪ねていって、そこに古くから住む人々に話を聞くことも多かった。

「何十年も壱岐に住んでいらっしゃるおじいさんを訪ねて、昔の写真を出して見せていただいたりしながらひとつひとつの砂浜について調べました。中には、ほとんどの情報が集まったのに肝心な正式名称だけがわからないという理由で、サイトに掲載するまで二年近くかかってしまった砂浜もあります。でも、ビーチも生き物も好きですから楽しいんですよ」

 
 

二〇一四年にオープンした「壱岐砂浜図鑑」は、大沢さんの努力の甲斐もあって、いまや壱岐のビーチを訪れる人にとって欠かせない情報源となった。その砂浜の歴史から海や砂質の特徴、海の家などの施設の有無、周囲の観光スポットにいたるまで、ありとあらゆる情報が網羅されている。

ハイシーズンである夏には、島外から壱岐に来る観光客に重宝されているのはもちろん、地元の中学生や高校生からも「あのビーチはもう泳げる?」「釣りしに行こうと思うんだけど、あの場所はどう?」といった質問がサイトを通じて投げかけられるという。
観光シーズンに壱岐の砂浜を訪れる人の数は、近年倍増している。

 
 
しかし、どうして砂浜にそこまでの情熱を傾けることができるのか──。そう聞くと、大沢さんは「壱岐の砂浜を地元のこととして愛し関わっている人はたくさんいますから、にわかな知識でサイトなんて作るのは失礼じゃないですか。誰よりも詳しくなって地元の人たちに受け入れていただかないと、壱岐の砂浜のことを紹介する資格がない」と言って笑った。

 

まだまだ載せきれていない情報がある、と話す大沢さんはどこまでも謙虚だ。しかし、いつかは壱岐の砂浜を日本一有名にしたい、という大きな野心がある。

「砂浜は誰かのものではなく、壱岐を愛するすべての人のものです。だからこそ、壱岐を愛する人たちがポケットから携帯を出して『壱岐ってこういう海があって、白い砂浜があるんだよ』と自分のこととしていつでも言えるように、サイトをもっと充実させて、壱岐の砂浜をもっと盛り上げたいと思っています。壱岐に関わるすべての人々のポケットに、故郷の美しい砂浜をプレゼントするというのが僕の目標なんです」

 
後編に続く

 
 

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壱岐を愛するすべての人のポケットに、美しい“砂浜”を─壱岐砂浜図鑑【前編】

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