卒業式は思っていたよりずっとあっけなかった。
もちろん、クラスメイトはみんな大泣きしていたし、学園祭や部活の大会のたびに泣く涙もろい先生はなんなら生徒よりも泣いていたし、その姿を見たときは僕もちょっとグッときたりしたけれど、式が終わったらみんな意外と普通に帰るんだな、と思った。

ドラマや漫画の中では、卒業する三年生に告白する後輩が出てきて大騒ぎになったり、朝までカラオケに行ってみんなで騒いだりパーティーしたりするシーンをたくさん見た。だから自分たちのときもそういう雰囲気になると思っていたのだ。でも、考えてみればこの島には、カラオケ店もパーティーできる場所も朝まで騒げるところも、ほとんどない。

女子たちのインスタグラムはいつもよりも多めに更新されていたけれど、みんなだいたい背景が校庭か海で、やっぱりそんなもんか、としか思わなかった。

 
 

朝早く、「春から大学生やろ、あんたもっとしっかりせんね」と母親に怒鳴られて、わけも分からずスニーカーを履いて家を飛び出した。

僕が住んでいる漁師町には、ホテルや旅館もそう多くない。この時期になるとときどき早起きの観光客に道を聞かれたりするけれど、今朝は誰にも会わなかった。
友達とのグループに「オカンにめっちゃ怒られたんやけど」とメッセージを送ったが、返信はゼロだ。みんなまだ寝ているのだろうと思った。なんとなく、海のほうを目指して歩く。

高校を卒業した同級生の多くは、四月になると島を出る。友達の中には福岡に行って大学に進学するか就職するやつが多く、東京や大阪に行く、というのも何人かいる。
僕もひとり暮らしを前に準備をしなきゃいけないとは思っていたけれど、なにをすればいいのか全然わからなかった。母親は「自炊の練習をしろ」と言うけれど、先に島を出た先輩たちは「意外と学食とかコンビニでもどうにでもなる」と言うから、あんまり真剣に考えてもな、と思ってしまう。

 
 

携帯を見ながらぼんやりと歩いていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、高校のクラスメイトがいる。

「おお、どうしたん、早いね」
「ドライブしようと思って起きた。免許とったばっかりやけん、クルマ乗るの楽しくて」
「わかる、僕も最近とったけん、よく乗ってる」

とっさにそう言って、嘘じゃないかとはっとした。たしかに免許は一応とったけれど、出かけるときは友達か家族に運転してもらってばかりで、ろくに運転席には座っていなかった。

「でも康平は東京やけんね? 春から。それやとあんまり車もいらなくない?」
笑顔でそう言われて、少し胸が痛んだ。たしかにそうだ。引越し先は電車の駅から徒歩三分のアパートで、それなら練習する必要もないか、と思っていた。

「長田くんはこっちで就職するんだっけ?」
「うん。でもたまに、出たほうがよかったんかなあ、ってめっちゃ迷う」

正直なやつだと思った。
春休みというのは、進学や就職をひかえて半分だけ高校生でいるような曖昧な季節で、油断するとそんなことばかりをぐるぐると考えてしまう。たぶん、僕みたいに島を出るやつも、彼みたいに島に残るやつも、この時期はみんなそうやって迷っているんだろう。

 
 

ときどき小走りになりながら歩き続けた。首に落ちてきた汗を袖で拭いて顔を上げると、いつの間にか隣町に来ていたので驚いた。こんなに自分の足でこの島を移動したのは、中学のときのマラソン大会以来かもしれない。

立ち止まって海のほうを見る。港の向こうに、少しずつ増えてきた人の姿が見える。干物を干しているお婆さんと、腰の曲がった隣の家のお婆さんが玄関先で談笑している。その前を自転車で通り過ぎた若い女性のふたり組は、おそらく観光客だろう。観光マップをリュックのポケットに突っ込んで、楽しそうにゆるやかな坂を上っていく。

卒業式の日、クラスメイトのインスタグラムやツイッターは、「やっぱり壱岐が大好き」という言葉で溢れていた。僕は正直に言えば、まだ、この島が大好きとは手放しには言えない。優しい人ばかりだと思う。魚はすごくうまいと思う。でも、どこよりも大好きだ、とは言えない。だから僕は、いつか自分でそう言えるために東京に行くのかもしれない、と思う。

 
もう少し遠くへ行こうか迷っていると、携帯が鳴った。友達だと思ってすぐに確認すると、朝ごはんできとーよ、という絵文字つきの文字が並んでいた。
「オカンかよ」と小さくつぶやいて、僕は家に向かって歩こうと、靴紐をぎゅっと結び直した。

【壱岐のあれこれ #23】

ストーリーにも登場したように、壱岐出身者の進路はさまざまです。壱岐には大学がないため、高校卒業後は、壱岐で就職する人、福岡や佐賀などで進学・就職する人、関東に出る人……など、それぞれがばらばらの道を歩むことになります。

壱岐出身者の中で有名人を挙げるなら、なんと言っても松永安左エ門翁は忘れられません。壱岐に生まれた財界人の松永は、福岡に路面電車を走らせ、電力事業の民営化においても中心的な役割を果たした人物。九六歳で亡くなるまで、電力界、そして経済界に影響を与え続け、“電力の鬼”とも呼ばれました。

今年も、壱岐の高校を卒業した若者たちがさまざまな場所に巣立つ季節。いつか、松永安左エ門翁のような歴史に残る活躍を遂げてくれる若者もいるかもしれません。十人十色の門出を、心からお祝いしたい季節です。

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半分の季節

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