港から車を走らせる。猿岩と書かれた案内の看板が見えると、「あ、そこだ」と友人が声を上げた。
「猿岩? へんな名前だな」
運転席のサトルが車を止めると、賑やかだった車内は緊張からか、少しだけ静かになった。
「砲台跡展望通路……これじゃないか?」
地図を持ったコウジが先陣を切って小高い丘を登ってゆく。僕は携帯のカメラを起動させながら、歩くたびに心臓が波打つのを感じていた。
「待ってよ。心の準備させてよ」
後ろからふたりに声をかけると、サトルが振り返って「ここまででできただろ」と呆れたように笑った。
心霊スポットめぐりは僕たち三人の趣味だった。いい場所があると聞けば、北でも南でも足を伸ばした。
長崎県に有名な戦争遺跡があるらしい、と言い出したのはサトルだ。なんでも、戦時中に使用された砲台の跡が今でも残っていて、そこで亡くなった兵士の霊が出るのだと言う。
それを聞き、行こうよとすぐにルートを調べ始めたコウジとは違って、僕は気乗りしなかった。戦争遺跡なんて、あまり気分のいいものじゃない。
「黒崎砲台跡」と書かれた狭い入り口は、トンネルのようになっていた。中は暗く、ほとんど見えない。右手には大きな砲弾のレプリカが置かれていた。
「雰囲気あるなあ……お前のスマホ、貸して」
ぼんやりしていた僕から携帯電話を奪うようにして、サトルが写真を撮る。
外観や案内板をしばらく撮影していると、近くを通りかかったおばあさんが、物珍しそうにこちらを見た。目が合うと、人懐っこくにっこりと笑う。
地元の人かな、とコウジが僕に耳打ちした。
「若いとに、勉強熱心ねえ」
「え? ええ……」
困ったように笑う僕をよそに、おばあさんは先頭を行くコウジに言う。
「こん中、暗かから気ばつけて」
「き、キバ?」
気をつけて、って言ってくれたんだろ、とサトルが言った。入り口から一歩足を進めると、おばあさんは僕たちの後ろをゆっくりとついてきた。
「……このおばあさんが幽霊ってことはないよな?」
囁くように言うコウジに、失礼だろ、と苦笑する。
狭い入り口を抜けると、中は洞窟のようになっていた。天井は低く、灯りはほとんどない。前日に雨が降ったのか、時おりぽつぽつと水滴の音が聞こえた。
「おいも久しぶりに入ったわあ……こがんに狭かったっけねえ」
おばあさんが場違いなほど明るい声を出すせいか、サトルはつまらなそうな顔でずんずんと進んでゆく。
中ほどに光が見えた。
「……吹き抜け?」
「本当だ」
なだらかな坂を上り、吹き抜けの真ん中に立って上を見ると、木々が見下ろすように生い茂っている。
ずいぶん高さがあるな、と口に出すと、
「そうばい。山ばくり抜いて作ったとけんねえ。地下七階建てよ」
とおばあさんが言った。
「……ここ、たくさん人が亡くなってるって本当ですか?」
突然、サトルが振り返って尋ねる。空気が張りつめた。
おばあさんは息を呑む僕たちの顔をじっと見て、
「そいはないわあ。ここ、使われんやったけんね」
と目を丸くした。
実は心霊スポットと聞いて見にきたんです、とサトルが白状すると、おばあさんは明るい声で笑って、黒崎砲台跡は第二次大戦中、戦艦「土佐」に積まれていた主砲を保存する目的で作られたのだ、と教えてくれた。
ワシントン軍縮会議、というのは歴史で習った記憶がある。その会議で「土佐」を始めとする主力艦を廃棄することが決まった日本軍は、その主砲だけでも秘密裏に保存したいと思い、要塞として黒崎砲台を作ったのだという。
砲台の設置には五年もの年月がかけられ、おばあさんの親戚も、砲台の奉仕作業に関わったのだそうだ。しかし結局、この砲台は使用されないまま、戦後しばらくして解体されることになった。
主砲があったという場所に空いた穴を見ながら「使われなかったなんて残念ですね」とつぶやくと、「いんや、よかことよ」とおばあさんは言った。
「だから、霊が出るなんて言うとは、すらごつ」
「……すらごつ?」
「作り話、って意味よ」
長崎弁ですか、と尋ねると、「こいは壱岐弁だねえ」とおばあさんは笑う。
反対側の出口から外に出ると、道の先に海が見えた。
「今日はいっきょい晴れとるねえ」
目を細めるおばあさんを見ながら、僕はなんだか、この島のことがもっと知りたくなっていた。
【壱岐のあれこれ#4】
壱岐の言葉は、基本的には福岡県、佐賀県、熊本県などで話される「肥筑方言」に属します。しかし中には、壱岐島のみで使われる独特な言葉も。
その代表的なものが、「いっきょい」です。“とても、すごく、超”といった意味で、壱岐では若者から年配の方までが、日常的に使う方言です。時には、「いっきょいすごい(=超すごい)」なんて言い方もします。
壱岐島に初めて来たら、海や島の自然の豊かさに、きっと思わず「いっきょい!」と口にしたくなるはずです。