思いのほか早く起きてしまって、カーテンを開けると小雨が降っていた。
朝食をとりながら、昨日までの写真を見返す。「海きれい!」「お刺身めっちゃおいしそう」「ひとり旅楽しんでるね」。友人たちから届いていたコメントすべてにハートマークで返信してしまうと、することがなくなった。
帰りの船まではまだ少し時間がある。ホテルのロビーにあったガイドマップを見ていたら、朝市、という文字に目が留まった。
勝本浦で車を停める。朝市の看板が出ているのを確かめて、少しだけ海沿いを歩いた。
漁に使う縄が道の端々に干してあるのを見て、ああ、港町だ、と急に思った。海に近づいてみると、水は小さな魚が泳いでいるのがわかるくらい透明で、澄んでいる。
漁師の船が遠くで起こす波を受けて、水面はゆらりゆらりと揺れていた。いつの間にか雨は上がったようだ。
朝市の店が立ち並ぶ商店街に足を踏み入れると、店先に立つ人たちが一斉に私を見た。
ずらりと並んだ段ボールやトレーの上に、小魚や干物、佃煮が所狭しと置かれていた。腰を曲げて座っていたおばあさんがすっと立ち上がり、「おいしいよ、味見だけしてって」と声を張り上げる。
伸ばされた手の先にあったものを、わけも分からずひと口食べる。こりこりとした食感に塩味が利いていて、おいしい。「これはいかうに。お酒にも合うとよ」と言って、おばあさんはいたずらっぽく笑った。
海産物が立ち並ぶ通りを抜けて、野菜や花が並ぶ通りを歩く。
ふと、どの店にも女性しかいない、と気づいた。
「ここは、女の人しかやっちゃいけないルールとかあるんですか」
大きな玉ねぎを見下ろしながら、ひとりのおばあさんに聞いてみると、きょとんと目を丸くされた。
「いやいや、そんなことはないとよ」
「じゃあ、そういう伝統……?」
「伝統なんてそんな、ないない」
おばあさんは、通りがかりの客と顔を見合わせて豪快に笑う。
「気づいたらなんだかそういうことになっとった、ってだけですとよ」
商店街は、想像していたよりも短かった。道を引き返そうとすると、花屋の軒先で並んで談笑している女性たちに声をかけられた。
「お姉さん、どこから来らっしゃったの」
「東京です」
「あらまあ。ひとりで?」
「先月仕事を辞めて、少し時間があったので」
「そうですか。東京なんてあたしらからしたら、ねえ」
外国みたいなもんですよ、と年長らしき女性が言うと、全員がどっと沸く。
「勝本の人たちは、みなさん元気で素敵ですね」
「いやいや、ここもずいぶん寂しくなりましたよ。昔なんかこの先までずらーっと店が並んどったのに、こんな短くなっちゃって」
年長の女性が商店街の先を指差すと、他の三人もぼんやりと首を曲げてそちらを見た。
みなさん、本業は海女なんですか。帰り際にそう聞くと、勝本に海女はいないと教えられた。「海女さんも海女さんで大変だろうけどねえ、男の人がとってきたもんを干したり漬けたりするあたしらも、これはこれで大変なんですよ」。
勝本の女はみんな負けん気が強いからねえ、とひとりのおばあさんが笑った。
駐車場に向かいながら、東京に戻ったら何をしよう、と考えていた。
両手から下げた袋のなかの佃煮や野菜が、足を踏み出すたびにがたごとと力強い音を立てた。
【壱岐のあれこれ#7】
勝本浦の朝市は、江戸時代の漁民と農民の物々交換に端を発すると言われている伝統的な朝市です。商店街には現在でも海産物と野菜・果物が立ち並び、元気なお母さんたちが声を張り上げながら自家製の商品を売っています。
店先でアジのみりん干しの仕上げをしていたお母さんは、毎朝家の前にみりんを干してから朝市に来ているそう。「勝本にはにゃんこの泥棒しかおらんから、安心して干してこれるけん」とのことです。壱岐旅行のおみやげを探しに、ちょっと早起きして朝市まで足を伸ばしてみてはいかがですか?
・勝本朝市
長崎県壱岐市勝本町勝本浦204-1
毎朝8:00~12:00(年中無休)