フェリーの船員というのは寂しい仕事ですね、と、むかし後輩が言った。

「列車の乗務員なら、運行中、刻一刻と変わる周囲の風景を楽しむことができる。けど、海はどこまで行っても代わり映えのしない海じゃないですか」
口を尖らせる彼に曖昧な相槌を打ちながら、本当にそうだろうか、と思った。海は一見、いつでも変わらない顔を保っているようでいて、季節によってめまぐるしくその表情を変える、ということを僕は知っていたからだ。

 

たとえば春。あたたかな陽が降りそそぎ、乗客たちの装いも華やかになる新緑の時期は、海にとってもいい季節だ。
日差しを受けてきらきらと反射する海は美しい。船のなかで、出張中と思しきサラリーマンが外の景色を撮ろうと携帯電話を熱心に窓に押しつけているのを見ると、家族に送るのだろうか、と微笑ましい気持ちになる。

それに、離島への移住を決めた新しい住人たちが、大きな荷物とともに船に乗り込むのもこの季節だ。
僕が乗る船は、福岡の博多港と壱岐・対馬というふたつの離島をつないでいる。春、船が博多港から壱岐の郷ノ浦港へ入ってゆくと、「歓迎」と書かれた赤い旗がフェリー降り場にはためいているのが見え、思わず目を細めてしまう。
もちろん、反対に島から出てゆく人も多い季節だから、四月の港には出迎えの旗と見送りのカラフルな紙テープが入り乱れる。

 
 

満員で運行する日が増え、海の上でも見慣れない顔とすれ違うことが増えてくると、季節は夏だ。離島にとってハイシーズンである七月から八月には、冬の静けさが嘘のように大勢の観光客が押し寄せる。
賑わうのは陸も海も同じで、夏になると、中国や韓国からきた豪華客船が悠々と海上を横切っていく。あまりに数が多いので、あの船はなんていう船ですか、と乗客から尋ねられると、船員ですら困ってしまうこともざらだ。

 
 

秋の始まりには、気まぐれな天候に悩まされる。
台風による欠航も増えるこの季節は、二時間あまりの航海の最中に大雨が降り出すことも少なくない。船体が揺れ、船のなかで泣き出してしまう小さな子どもをあやしているときは、自分も泣きたいような気持ちになる。そんな日には決まって、乗客を港に降ろしたあと、いやあさっきの揺れは参ったよ、と苦笑いしながら航海士が降りてくる。

 
 

そして、今日のような冬の日には、海は静かだ。
夜、暗い海の上に浮かぶ船に乗っていると、どこまでが海中でどこからが陸上なのかがわからないような心地になる。時折、近づいてきた高速船に追い抜かれながらも、フェリーはゆるやかに港を目指す。

 
大きな体を横たえるようにして船が港に停まると、出迎えにきた人たちの顔がライトに照らされて浮かび上がる。乗客たちが船から降りていくと、港の上で「ただいま」「久しぶりだなあ」という明るい声が飛び交うのが聞こえる。その声を耳にしながら、やはり僕は、船員は決して寂しい仕事ではない、と思うのだ。

 

【壱岐のあれこれ #20】

長崎県・壱岐島には、福岡県の博多港から、フェリーとジェットフォイル(高速船)というふたつの直通便が出ています。フェリーは一日に約三便、ジェットフォイルは一日に約四便が運行され、壱岐を訪れる人、壱岐から出る人にとっては欠かせない交通手段です。

一時間一〇分ほどで壱岐に到着するジェットフォイルと比べ、フェリーの航海時間は約二時間二○分と少々長め。短時間で着くという点ではジェットフォイルがおすすめですが、ゆったりと海の旅を満喫でき、大きな船を操縦する船員さんたちの活躍を間近で楽しむことができるフェリーも、魅力では負けていません。
壱岐を訪れる際は、季節や気分、時間の余裕によって、交通手段を使い分けてみるのもおすすめです。

【SHARE】

海の顔

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

FOLLOW US

壱岐日和の最新情報をお届けします