壱岐は、車があれば二時間で一周できてしまうほどの小さな島だ。その島のなかに、小さな祠なども含めれば、神社が千近くも存在するという。
かつての“村社”、つまり村の氏神様が祀られた大きな神社は四十二社あり、それらはとりわけ地域の人々から愛され、守り継がれてきた。毎年十二月二十日、大大神楽の日にはその四十二社の宮司や禰宜を中心に、島の北から南まで、さまざまな神社の神職が一同に会する。
住吉神社の宮司を二十年務める松本弘さんは、福岡でサラリーマンとして十年間勤務したのちに、神職を継ぐため実家である壱岐に帰ってきた。異色の経歴の持ち主、と思いきや、神職のなかには意外にも“脱サラ”して神社を継いだという人が少なくないらしい。
「昔は譜面がありませんでしたから、先輩の神職が笛を吹く隣で、見よう見まねで指を合わせて覚えたんですよ」
松本さんは笑う。“神職のみ”に演奏が許されている壱岐神楽のためには、当然、笛や舞の練習が必要になる。平成十三年に文化保存のために神楽のビデオ収録が行われたが、それまではずっと、神楽の“師匠”について習っていたのだという。
「先輩の神職が、神楽の師匠になってくれるわけです。神楽には四番(四曲)のみの“幣神楽”から、今日行われるような“大大神楽”まで規模があって、大大神楽だと三十五番(三十五曲)も演目がある。先輩に習ったり、勉強会に出たりして一生懸命覚えないと、舞えるようになりませんよね」
大大神楽は神楽のなかでももっとも演目が多く、八月に筒城浜のステージで“お披露目”のように行われるほかには、神社の竣工などがないと見られない特殊な神楽だ。なにしろ、すべての演目を演奏するためには、ゆうに六時間以上の時間がかかる。舞い方も、演目の少ない神楽よりさらに複雑になるという。
一六時。舞台の上では「二劔」が舞われていた。
その名の通り、ふたつの劔を両手に持って舞う、まるで曲芸のようにアクロバティックな舞だ。劔によって災いを振り払い、鳴らされる鈴によって福をとり入れるという意味がある。
「二劔」を舞う神職の剣さばきを、観客ばかりか、舞台の上の神職たちも息を呑んで見つめている。演目が終わると、舞台の下から安堵のようなため息とともに、温かい拍手が漏れた。
続く「豊年舞」では、神の化身として面をつけた神職が、観客たちに向かって盛大に餅をまく。一年間の豊作に感謝し、さらなる五穀豊穣を祈る重要な演目だ。
それまで控えめに座っていた子どもたちが、舞台の前列まで一斉に飛び出してきた。大騒ぎして、餅をとれた数を競っている。その姿を見ていると、思わず大人まで前のめりになってしまう。
「豊年舞」が終わると、長い神楽はひと時の休憩に入る。
額の汗を拭う神職たちとは対象的に、観客は深まる寒さに身を縮めながら、それでもあれこれと熱っぽく感想を述べていた。
関西から毎年この大大神楽を見に壱岐に来ているという若い男性は、
「静かで派手派手しくなくて、神事らしいのがいいですよね。舞台をよく見てると、たまに、足元がふらついてる宮司さんとかいるんですよ。頑張れ、頑張れって思いながら見てたらはまっちゃって」
すこし恥ずかしそうにそう言って、振る舞われた甘酒をすすっていた。