日が落ち、辺りはすっかりと暗くなってきた。ライトアップされた境内が神々しく薄緑に光り、四方を硝子戸に覆われた神楽の舞台は、冬の夜の闇を背景にぐっと際立って見える。

 

舞台では、「神相撲かみずもう」が舞われていた。国技である相撲を神前に演じ、心身の強健息災を祈る神楽だ。取り組み前の力士が土俵に塩をまくように、二畳の畳に向かって景気よくお神酒が吹きかけられると、舞台の下にも酒の匂いが流れてくる。隣から、こりゃあ酔いそうだねえ、という声が聞こえた。

やがて、体格のいいふたりの神職が舞い始める。ひとりの肩の上にもうひとりが勢いをつけて飛び乗り、跨ると、観客からは自然と拍手が湧き起こった。

互いの腰に手を入れ、ふたりが交互に空転をさせ合う舞いになると、拍手はより大きく力強くなる。神職たちは、両手と顔を子どものように赤くしながらも懸命に舞う。

 
 

一九時。夜が深くなり、月灯りが煌々と神社を照らす。大大神楽も、次第に終わりに近づいてきた。
神職たちの指示で外に出た観客が祭壇の前に集うと、「湯立ゆだち」が始まる。

湯の霊威による清め払いの意味があるこの儀式は、青笹で振りまかれた熱湯が体にかかると無病息災が叶うとされている。
湯気を立てる釜の前で宮司が祝詞を読み始めると、大人の参拝客のみならず小さな子どもまでもがそのさまを目を凝らすようにして見つめ、辺りはしんと静かになった。零度近い気温のなか、立ち込める湯気に宮司の吐く白い息が交じる。皆、寒さを忘れたように背筋を伸ばしてそれを見ていた。

宮司が釜の湯に青笹を浸すと、どこからか賑やかな声が聞こえてきた。ほら、お湯、あれがかかると縁起がいいんですよという笑い声に続いて、年配の男性が後ろから観客たちの輪に入ってくる。湯がまかれると、「うおっ熱い」と彼が笑った。それにつられたように、子どもたちも熱い、熱いとはしゃぎ出す。

 
 

神楽は、舞台を室内に戻し、もうひととき続く。
神話になぞらえ、面をつけて舞う「手力男たぢからお」「阿知女あぢめ」といった演目や、剣で悪霊を切り払う「八散供米やちくま」が舞われると、「神楽をお納めいたします」という宮司の声が響いた。

 
 

大きな拍手もざわめきも起こらない、静かな幕引きだった。六時間の舞を終えた神職たちは、緊張が解けたのか、どこかホッとしたような穏やかな表情で神社の奥へ入っていった。
観客たちは噛みしめるように「よかった、よかった」「今年もこれで終われるなあ」とつぶやきながら、鳥居に一礼して境内を出てゆく。

 
 

帰りがけに、母が壱岐の出身だという母娘に出会った。いまは都心で暮らしているが、自分が幼い頃から見てきた神楽を娘にひと目見せたかったのだ、と母は言う。

「ねえ、飽きるかと思うけど、案外最後まで見られるもんでしょう。なんだか不思議な力があるとね、ここの神楽には」

人がいなくなり祭壇だけになった舞台を、母娘はいつまでも見つめていた。

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月の下で舞は続く――
壱岐大大神楽【後編】

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