春がやってくると気分まで陽気になり、お酒の場でつい普段よりも羽目を外してしまう──。新緑や中秋の名月、雪といった四季折々の風物詩はそれぞれに美しいけれど、やはり、桜の花と気持ちのよい春の夜風を肴に飲むのは格別、と感じる方は多いのではないだろうか。

乱痴気騒ぎや人に迷惑をかけるような飲み方はもちろん論外だが、日本では、古くから多少の“酔態”は大目に見られてきた、という歴史がある。この風習は西洋の人々の目には奇妙なものとして映ったようで、日常的な飲酒の文化が庶民の間にもすこしずつ定着しつつあった一六世紀に日本を訪れたふたりの外国人宣教師は、日本人の酔い方についてそれぞれの立場から興味深い文章を書き残している。

ひとりは、一五七七年に来日し、キリスト教の布教をおこなったポルトガル人宣教師のジョアン・ロドリゲス。彼が日本滞在中に記した『日本教会史』には、日本人の酒の飲み方についてこんな記述がある。

“客人が大いに酒を飲んで泥酔に陥ったとき、その飲みっぷりの強く勇ましい元気さを話題にしてほめ、すでに多量に飲んだ者が、他の者から挑戦されても、みなと張り合って怯みも負けもしないで飲む。”

そして、ロドリゲスとほぼ同時期に来日し、同じくキリスト教の布教をおこなった宣教師ルイス・フロイスも、三十五年間にわたる長期の日本滞在の中で目にした日本文化を著書『ヨーロッパ文化と日本文化』にまとめている。その中で、フロイスは日本人の酒の飲み方をこう分析する。

“われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、『殿はいかがなされた』と尋ねると、『酔っ払ったのだ』と答える。”

ルイスとロドリゲスの文章には、本来は恥ずかしいこととされてきた“酔い”が、日本では“勇敢さ”や“誇り”と結びつけられることへの戸惑いが見られる。特にロドリゲスは、日本の宴会は“泥酔させること”そのものこそが目的になっていると綴り、酒を勧められたものはそれを拒むことができないと、やや冷ややかな目で日本の飲酒文化を見つめている。

……では、これに対し、日本人側の言い分はどうだったか。時代は移るが、一九三九年、尾張徳川家の当主・徳川義親は、礼儀作法を説き六〇版以上を重ねたベストセラー『日常礼法の心得』の中でこんなことを綴っている。

“酒席に於て、皆が酔払つて暴れてゐるやうな時に、自分一人がきちんと座つてゐるといふやうなことは寧ろ礼ではない。”

皆が酔っているときに自分一人座っているのは礼ではない──とは、思わず笑ってしまうほど大胆な言い分だ。どうりでこの季節には街なかや花見の席でも酔って前後不覚になっている人々をよく見かけるわけだ、と納得してしまいそうにもなるが、もちろん日本の文化人の全員が“泥酔”を推奨していたわけではない。

たとえば吉田兼好は鎌倉時代、かの有名な随筆『徒然草』の中で、酒を騒がしく飲み、人の間に割り込んだり枝を折ったりするような花見の仕方を“片田舎の人”のすることだと痛烈に批判している。

“よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりけり。片田舎の人こそ、色こくよろづはもて興ずれ。花の本には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。
(現代語訳:教養のある人は、むやみになにかを好まないし、面白がるさまもあっさりとしているものだ。片田舎の人はしつこくなんでも面白がる。花見でも、花の木の下に割り込むように立ち寄り、花をじっと見つめ、酒を飲んだり連歌をしたり、挙句の果てには大きな枝を心なく折ったりしてしまう。)”

“片田舎の人”とはつまり、“教養のない人”ということだろう。兼好はこうも説いている。“月や花は、目だけで見るものだろうか。いや、そうではない。春は家から出ずとも、月の夜は寝室にいるままでも、それらを想像して愛でることが味わい豊かで面白い”。

外出自粛が叫ばれているこの折、例年通りのにぎやかな花見酒が楽しめないことに不満を感じる人もいることだろう。しかし、時には吉田兼好が綴ったように花を“想像して愛でる”ことも粋かもしれない──。日欧それぞれの文化を見つめた書物をいま一度眺めてみると、そんなことを思わされる。

【壱岐のあれこれ #30】

コロナウイルスの影響で全国的な外出自粛が続いているいま、なかなか“春らしさ”を感じられない──という方も多いことでしょう。玄海酒造のある長崎県・壱岐島では、例年、三月下旬から深い入江に自生する桜の花を遊覧船で見物できる「海の桜遊覧」が開催され、風物詩のひとつとなっています。今年は残念ながら遊覧運航が中止となっていますが、来年以降、桜の季節に壱岐を訪れた際には、ぜひ船から愛でる桜の花の美しさを楽しんでください。

……ところで、お酒好きの方の中には、「ほどほどで飲むのがなにより難しい」と口癖のように言う方が少なくありません。特に、春先の宴席が増える季節には、調子に乗ってお酒を飲みすぎてしまい、二日酔いに悩まされる──という経験をしたことがある方もいるでしょう。

ビールやワイン、日本酒といったお酒はついつい飲みすぎ、気づいたときにはもう随分酔っていた、ということになりがち。これは、冷えたお酒は口当たりがよく、温かいお酒に比べると体内で吸収される速度が遅くなるので、酔いが遅れて回るため。もちろん冷酒には冷酒の美味しさがありますが、ゆっくりとほろ酔いでお酒を楽しみたいときにおすすめなのは、焼酎のお湯割りです。

一般的に、焼酎のお湯割りは日本酒の熱燗よりも飲み口がやわらかく、アルコール度数も低めであることが多いです。また、温かいお酒は体の代謝をよくするため、アルコールの吸収が早まり、“酔い”に自分で気づきやすくなるとも言われています。お酒に酔うことは楽しいことではありますが、人に迷惑をかけるような飲み方はもちろんご法度。“酔い加減”を自分で見極めながら、心地よい季節、ほどよくお酒を味わいましょう。

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日本人と「酔い」の歴史

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