このところずっと、なんだか疲れている。
具合が悪いというわけではないけれど、寝ても寝てもすっきりしない。
飲みの席でそんな話をしたら、「社会人になってから、すっきりなんて一度もしてないよなあ」と同僚が笑った。

オフィスを見渡してみる。
部下も、上司も、それぞれに真剣な顔でPCに向かっている。一分一秒惜しむものか、という姿勢の若手社員もいる。
俺はいま、ちょうど真ん中くらいか。年齢も、立場も、仕事に対する熱意も。
みんな頑張ってるんだから、頑張んなきゃいけないんだよな。

 
 

「どっか遠くに行きたいなあ」
会社帰りの一杯。カウンターで俺がぼやくと、顔馴染みの店員が笑った。
「どっかって南の島とかですか」と言われて、ベタだなあと思う。
……でも、意外とありかもしれないな。南の島。
グラスを傾けながら、遅めの夏休みでもとるか、とふと思った。

芦辺港でフェリーを降りると、遠くに赤い灯台が見えた。
長崎県壱岐島。博多からフェリーで二時間ほどの、玄界灘に浮かぶ人口約三万の島だ。
どうせ旅行に行くなら、酒のうまいところがいい。そう思って選んだ壱岐島は、なんでも麦焼酎の発祥の地だという。
防波堤の近くで猫が寝ている。強い風が吹くと潮の匂いがした。
ひとり旅なんて、学生のころ以来だった。

予約していたレンタカーで芦辺港から走ること十分、食堂に入る。
「はらほげ」という気の抜けた、ちょっと変わった店名は、近くにある「はらほげ地蔵」というお地蔵さんに由来しているらしい。


「お待ちどおさま」
運ばれてきた黄金色のうにめしは、地元の海女さんが玄界灘でとったうにを三種類も使っているという。ひと口食べると、たしかに新鮮で甘く、濃厚だ。
店を出る際に、「お地蔵さんを見にいってごらん、『はらほげ』の意味がわかるから」と教えられた。

 
 

食堂からほど近く。石造りの階段を下りると、海を背景に六体並んだお地蔵さんの姿が見えた。
近づこうとして、驚く。
お地蔵さんの足元まで、波が寄せてきているのだ。

そばに立てられた看板によれば、「はらほげ」とは壱岐の方言で「腹に穴が空いている」という意味らしい。その名の通り、はらほげ地蔵の腹にはぽっかりと丸い穴がある。

満潮のときには、お地蔵さんはなんと、頭まで海に浸かってしまうという。体に空いた穴はどうやら、お供え物をその中に入れることで、満潮時でも供えたものが沖に流されないようにするための工夫のようだ。

階段を半ばまで下りて、波の音を聞きながらそっと手を合わせた。
寄せては返す波は、ガラスのように透き通っていた。眼前に広がる海の大きさに思いを馳せる。
こんなに時間がゆっくりと流れるのは、久しぶりかもしれない。

 
 

夜は、地元で人気だという居酒屋に入った。
麦焼酎を薦められたので、当然頼む。これが旅の楽しみだったのだ。
この島で生まれたのが、なぜ“麦”焼酎なのか? 店の人に聞くと、そのわけは戦国時代まで遡るらしい。

なんでも、戦国時代から江戸時代にかけて、米に対する課税は麦に対する課税よりも厳しかった。そこで壱岐島の人たちは、比較的、課税の厳しくない麦を主原料に、麦が三分の二、米麹が三分の一という配分で焼酎づくりを始めたのだそうだ。そして、その比率はいまでも、壱岐のすべての酒蔵で厳格に守られている。
言うなれば、この焼酎は島の人たちの知恵の賜物なのだ。……いつの時代も、創意工夫が新しいモノを生む。

 
 

刺身を肴に、島の名前がついた麦焼酎を一杯。
馴染みのバーとはまた違う、カウンターでの方言まじりの会話。賑やかだけれどその響きはどこかやさしく、心地いい。常連さんの声に耳をすませていたら、いつしかほろ酔い気分になってきた。

……来週からまた、もうちょっとだけ頑張ってみるか。柄でもなくそんなことを思いながら、もう一度焼酎に口をつける。

 

【壱岐のあれこれ#1】

壱岐焼酎の蔵元は、島内に全部で七つ。すべての蔵元が、現在でも大麦三分の二、米麹三分の一という原料の比率を厳格に守って酒造りをおこなっています。この比率こそが、壱岐焼酎らしい、米麹の天然の甘みと豊かな大麦の香りを引き出すカギなのです。
壱岐の焼酎は、伝統的な製法を守り続けながら、同時に新しい美味しさを求めて日々、進化を続けています。

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島で一杯

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