スコッチやバーボン、コニャック、ボルドー、そして壱岐焼酎。これらの酒の共通点を挙げよ、と問われたら、考え込んでしまう人も多いのではないだろうか。
じつはこれらはすべて、「地理的表示」の産地指定を受けた酒、という共通点を持っている。
地理的表示とは、「ある商品の品質や評価が、その地理的原産地に由来する場合に、その商品の原産地を特定する表示」。わかりやすく言えば、“その土地なしにはその商品はつくれない”というものに対して、ブランドを保護するためにつけられる表示だ。
日本の焼酎においては、平成七年に、長崎県壱岐市の壱岐焼酎(麦焼酎)、熊本の球磨焼酎(米焼酎)、沖縄県の琉球泡盛、平成十七年に、鹿児島の薩摩焼酎(芋焼酎)が地理的表示の産地指定を受けている。
つまり、アメリカのケンタッキー州バーボン郡でつくられたウイスキーのみを「バーボン」と呼び、フランスのボルドー地方でつくられたワインのみを「ボルドー」と呼ぶように、「壱岐焼酎」も、壱岐島の土地でつくられた焼酎のみに許された名前なのだ。
では、「地理的表示」を受けるにいたった壱岐焼酎の特異性とはなんだろう。
それを知るにはすこし、歴史を遡る必要がある。
室町時代末期、壱岐島は平戸松浦藩の領地だった。土地が肥沃な壱岐では農地の開拓が奨励され、当時の島民たちも農業に励んだが、一所懸命につくった米は年貢としてそのほとんどを藩に納めさせられていた。
そこで島民たちは、年貢の対象からは外されていた「麦」を主食とするようになった。そして、麦にすこし余りが出ると、蒸した麦で酒(どぶろく)を自家醸造した。
やがて島に焼酎づくりの技術が伝わると、島民たちはどぶろくを釜で炊き、度数の強い透明な酒──通称「火酒(ひのさけ)」をつくるようになった。この「火酒」こそが、壱岐焼酎のはじまりなのだ。
やがて、大麦三分の二、米麹三分の一の割合で造る壱岐独特の製法に受け継がれ、こうしてつくった焼酎のみが現在、「壱岐焼酎」と呼ばれている。
壱岐焼酎のうま味の決め手となったのは、肥沃な土地で育った麦と米、豊富で良質な「水」だ。
壱岐は小さな島でありながら水資源が豊かで、たとえば壱岐でいちばん高い山・岳の辻では、山に降った雨がろ過されて良質な地下水になる。また、島を覆うように茂る森の木々によって蓄えられた新鮮な雨水は、やがて幡鉾川の水源となる。──このような水源を島に七つある酒蔵のそれぞれが独自に確保しているから、同じ壱岐焼酎でも蔵元によってまったく違った味に仕上がるのだ。
先人の創意と工夫によって麦と米麹でつくられた焼酎、島の風土が育んだ良質な水。三つの偶然と必然が生んだ壱岐焼酎は、今日も島民たちに愛されている。
【壱岐のあれこれ#19】
島内の七つの蔵が、切磋琢磨し合って製造している壱岐焼酎。じつは、昭和の時代の末期に、島内の焼酎の蔵元を一本化してはどうかという打診が長崎県からありました。当時は焼酎の蔵が五軒、焼酎と清酒の兼業の蔵が七軒あり、これら十二の蔵をまとめて「壱岐焼酎」として売り込もう、というアイデアです。
しかし、島内の蔵元はこの提案に反発しました。それは、蔵ごとに違う味わいを持つ焼酎の多様性こそが、なによりの壱岐焼酎の魅力であるという考えがあったから。県もこの主張に理解を示し、結局、一本化の計画は無しとなりました。
その後、蔵元の合併や焼酎専業の酒蔵への転向などがあり、島の酒蔵は現在の形である七軒に。壱岐の七酒蔵は今日も、お互いをよきライバルとして意識しながらも、島の伝統を守るべく焼酎づくりに精進しています。
参考文献:『壱岐焼酎 蔵元が語る麦焼酎文化私論』山内賢明